2014年8月24日日曜日

飛び立つ

東に帰ってきました:-)


京都では、たまたま東京の友人たちが京都に来ていて、大の字の送り火を見たり、
一人奈良へ行って、お寺を巡ったりしつつ、スタッフのみなさんのご協力もと会場の掃除をしたり。

木々のたちへの踊りも。


今回すべきことを考え、一本ずつ模写することにしました。
建物があるせいで、あるはずの影がでないから、
自分の姿、見たことないだろうなあと思ったし、あるはずのもの(影とか魂とか)
を認識してもらいたいなという気持ちから描こうと思いました。
描いているうちに、枝の分かれかた、曲がり方、細さ、太さ、全体像、なぞっているうちにさらに愛おしくなったし、写経しているような感覚にもなれて良い行為でした。
描いて良かった。(炎天下の中、汗だく&焼けた!)


踊っている途中でものすごくぽっかり穴があいてしまったようなむなしいような悲しい感情になって身体が置いてけぼりになり、精神と身体、状況と気持ちに差異を感じた瞬間が。切られる木々の気持ちだったのかもしれない。なんで切られなきゃいけないのかって思ってたのだろうな。全部切られた瞬間にこみ上げてきたものが押さえきれなくてこっそり号泣してしまった。。



市役所のかた、ボランティアさん、スタッフさん、関わってくださったみなさんが力をあわせてその場をつくってくれたことに、感謝します。
共に歩んでくれたパーカッションの竹中さんとても優しいかたで救われました。
みなさま、ありがとうございました。○
泊まらせてもらってたおうちのおばあちゃんも見にきてくれて、
私が木のことを考えてあれやこれやしてるのを見て「心は、伝わるからね。」と言ってくれて、救われたなあ。また11月におばあちゃんに会えるのが心から楽しみです。


神社に御礼参りをして、また11月に…と京都を後に、名古屋へ。
翌日小学校の頃からの友人のお店にいって、かわいいアンティークの鳥かごを見つつ、
鳥飼ってないしなあ、とあきらめて、他のお店で茶色に黄色のラインが入ったボトムを買い、名古屋の一番の繁華街を歩いていたら、
目のまえに何かがボトッと落ちてきました。



なんと、小鳥!
からすがくわえてたのを落としたのか、喧嘩したのか、上には羽が舞ってて。
地面でけいれんしていてすぐにでも人に踏まれてしまいそうで、
とっさに手のひらで掬って気を送ってあっためてたら、目も開かない状態だったのに
徐々に目を開けられるようになって少し安心。大学生の女の子たちに話かけて動物病院を調べてもらっているうちにまた元気になって女の子の肩に飛んでとまったと思ったら赤信号の車道の真ん中に飛んでいってしまって、ひかれるのをみているわけにいかない!とまたつかまえて歩道にもどったら、宝石屋さんの定員さんが出てきてくれて鳥に詳しい方で水を飲ませてくれたり、ハコを巣箱みたいにしてくれたり、近くに鳥獣店があるから連れていってと教えてくれて、女の子たちと向かいました。

鳥獣店の方に見せたら、なんの鳥か判明。
茶色い身体に黄色いラインが入った小さな鳥、かわらひわ という野鳥でした。
えさを少しいただいて、一晩うちで保護することに。


(かわいい。。)

朝起きたら小さな声でぴいぴい鳴いていて、フンもしてるし、えさもついばんでいたので一安心。


里山のある公園にいき、箱の蓋を開けると、ふちにピョンとまって私の方を見てから飛び立っていきました。生きるべき場所へ、光溢れる中へ飛び立っていきました。
どうか元気で生きていってね。○

人の縁も繋がって助かった命。この子はなにかを伝えにきてくれたのかもなと思いました。自然界からのお使い。

私もあの子みたいに光溢れる方へ、生きるべき場所へ飛び立てるといいな。○

2014年8月15日金曜日

里へ

お盆の里帰り。
迎え火を焚くのは昔から好き。
火の揺らめきに見入っていると一体になってしまうような感覚になる。


今年はイトトンボとギンヤンマの姿できてくれました :-)
なかなか夏のイベントで帰れなかったりするから、
今年はお盆にちゃんとご先祖様にご挨拶できてよかった。

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今朝は五時に起きて新幹線にのって、京都の木津川市へ。
11月の『木津川アート2014』に出品するので会場のお掃除も兼ねて3度目の訪問。
やっぱり作品をつくる時にはその土地との対話が一番大事。
今回は芸術祭の関係で18日には木の伐採式が行われるので、
切られてしまう木々の木霊の為に踊ります。
晴れるかな。


今日は土地の神様にご挨拶。
御神楽に立ち会い,18日の無事を祈願。
宮守も巫女さんも氏子さんのなかで継承されてる。
今の巫女さんはもう10年もつとめてて、その間一度も欠かさず舞っていると。
(この土地は欠かさず、毎月三回の御神楽を行ってる。)
信心深く、慈悲深い方々の育む、あたたかい土地なのです。

西ノ宮神社という小さな山にある神社が、ここの土地の神様で、
今はこの名前だけど、元々は九頭竜の神社。
龍神が祀られているので、水とか雨の神ですか?と地元の方に聞いてみたら、
昔日照りが続いたとき、山の池で雨乞いをしたら雨が降った、という伝えがあり、祀られてると教えてくれました。
前回、『雨を乞う』の制作中に、同時進行で会場決め&リサーチでここに訪れてたので、その話を聞いたときには本当にびっくり!
木津川という大きな川があるので水の神様が多いけれど、まさか雨乞いのリサーチになるとは…(なので雨を乞うの物語はここの山を想像しながら書いていました)


毎回お泊まりさせてもらうおうちの一人暮らしのおばあちゃんが
変わらずお元気で、再会出来て嬉しくて、思わず握手しちゃった。
お盆だし、里が増えたみたい。○今回もいろんなお話きかせてもらおう♪

昔ながらの村の日本家屋、風抜けてほんとうに気持ちがいい。
稲が大分育って、青々と。秋の気配も少しづつ。
ここは空気が綺麗。いい香り。昔ながらの風景に水路の音が涼を運んでくれます。○


おばあちゃんの畑もとても元気に育ってて嬉しいな。○

いろんな土地が発するそれぞれの声を、こころ静かに聞いて、
作品をつくって発し、通していくのが自分の使命の一つ。

去年は里のアイチ、今年じっくり向き合うのは、この場所です。

2014年8月12日火曜日

継ぐ、続く

しぜんの国の8月のダンスワークショップは“ジャングル”がテーマ。
7月の'海'を渡ってジャングルの島へひと夏の冒険をしています。○


新園舎ができてこの活動が始まってまだ少しだけれど、連携力が各所で発信されてきていて私もさらに熟考し益々わくわく取り組んでいます。


アトリエリスタの先生たちの会議、クラスの先生たちとの会話、意見やリクエスト、こどもたちの反応を受けて微調整。繰り返して練り上げていく。
継続した作業と関係性。続けるからできること。この事象が目には見えない大きなうねりとなってみんなの心身に残っていくかもしれない、すごいことだと思う。重責だとも感じてる。



母がよく言っていた。
「継続は力なり」


自分には才能がないと感じ、踊りを辞めたいと思うときも、この言葉に引き留められた。

続けることの大切さを身をもって知っている。
三歳から始めた踊りを何度も何度も挫折や悩み、迷いを味わいながら続けてきたから今がある。そんな今、得たものを形にして今度は私が継いでいく番だ。



回を重ねてくと徐々にみんながそれぞれにもつ空気感やリズムの違いが見えてくる。
ほんとうにいろんな子がいる。性格も環境も。みんなと触れあいたい。無理して踊らなくても、見てるだけでも、各々がどこかに喜びを見いだせる時間にしたい。
(気になることがあったらお昼を一緒に食べてみたり、声かけてみたり、自由時間に一緒に遊んだり…まだその距離感も試行錯誤中)

できることならひとりひとりとじっくり対話したいけれど、
まずは私の立場でできることをしていかなきゃ。
それは各クラス月一回のワークショップでやれることの最良を尽くして、よい形を生み出すこと。
そして皆の表情や動き、陰りも光る瞬間も、敏感に掬って反映させていくしかない。
(こないだは気になっていた閉ざしがちな子へ意識して声をかけたり触れたりしたら最後は満面の笑みで『来月は何やる?』と言ってくれました。幾度にそんなことがあって、毎回じいんと泣きそうになる…。)








8月のとある日
毎年参加してきた『吉原芸術大サービス』の仲間が、吉原の催しを手伝っているというので、応援しに行ってきました。
(写真は吉原の桜をモチーフにしたわたあめ!枝はクッキーでほんのりピンクでクオリティーが高いっ)


芸術祭にも、毎年参加し続けていたからこその関係性を感じた1日。

歩いていたら「東山ちゃん」とか「かえちゃん」と声をかけてくださったり、握手してくださったり、お茶席に招き入れてくださったり、土地の方が喜んで受け入れて下さっているのを実感…。
その土地について毎年知識を深め、真剣に取り組んでいると、
いつのまにか地域の方々との関係も広がり深まっていた。

こんなに嬉しいことはない。幸せな気持ちになった1日。



続けるとはなんて大きな力だろう。
苦しみもあれど、その先にはこんなにも自らを助け、光の道に導いてくれる力となっている。


だから、これからも
継ぎ、続けていこうと思う。


2014年8月8日金曜日

境界線で遊ぶ



しぜんの国の8月のWSを終えて、昨日からお仕事の下見で軽井沢へ。
美術館の企画で、10月に一泊二日のWSをします。
とてもすてきな場所でした。
森の中で、なにをしよう。○身体と自然。


森の中のどこで何をするか、歩きながら自分の感覚に耳を澄ませ、少しだけ方向が見えてきました。やっぱり長野にいくと、木々に目がいくなあ。木は気であり、気を纏う存在。
冷たい水と澄んだ空気と佇む木々。小さなころから夏はよく軽井沢に行っていたので、このご縁はほんとうに嬉しい!(そして山っこの私は長野好き)

岡上とはまた違う視点から取り組みます。まだまだ自然に関して勉強/経験が少ないし慣れないからとても難しいけれど、自然の中での時間を組み立てるお仕事が続くこの導き。脳内の境界線をなくして、思考回路が繋がってくといいな。
佳い時間を過ごしていただけるように、取り組みます。


そのまま友人と合流して一泊して一休み。
花豆の実にも出会って去年の今頃創作していた『料理された童話の旅』を思い出したり。
桔梗がどこも綺麗に咲いていて目を奪います。

軽井沢の氏神さまにもご挨拶してきました。奥宮にいたら身体がぽうっと暑くなってきて、光と力をいただいた気がしました。





木にまつわることが続きそうなので、しなの木さんにもご挨拶。八咫烏さんのおみくじで優しい歌と、嬉しい言葉をいただいて、また大きな安堵。


旅も創作も、境界線を越えることに、こころ踊る。


 
若かりし時代、一緒に踊っていた友人との旅。二人で浄化の時間を過ごしたような感じ。
夜の石の教会、昼の木の教会。12時の鐘の響き、束の間の旅が終わり。
旅はしないとって年々思いが強くなる。
次はどこいこうかな。