2014年9月21日日曜日

ふかしぎな日々

すなななフェスでのお月見泥棒 



岡上さとやま探検隊

無事に終わりました!
ふかしぎ(オロロトリヒロ、東山佳永、白石和也のユニット)での日々が終わりました。
ああ〜楽しかったなあ!


すなななフェスでは、昔話/民話をライブパフォーマンスに。

岡上さとやま探検隊では、土地とその土地の昔話の中へ入っていくような里山ワークショップに組み立てて、昔話の中で身体を使うものにしました○
(探検隊も2人が音楽で協力してくれました!鷹蚕さまありがとう♡)

この日々は土地とそこの文化に近付きながら幻想の中に入り込める夢の様な時間でした。
昔にタイムスリップしたような、世界旅行に行ったような、ふかしぎな日々。
自分が興味のあること(民話や昔話、土地そのものの声)と触れてつくれるっていう幸せな作業、そんな機会になって嬉しかったです。


両方お蚕様のお話があって、華順さんにもらった黄色い絹のスカートをずっとつかっていました。すなななフェスでのお話を聞いてくれるみんなの集中力、探検隊のみんなの絹のスカートに触れたとき皆の反応や物語を探すときのキラキラした目一生忘れられないな。

きれいな秋の花々や実りに囲まれた里山の贅沢な景観を舞台にできるなんて
ほんと贅沢だったなあ。。

(雨天の予報も覆すし岡上さとやま探検隊の始まる前いただいたお茶で茶柱たってた♡)



これからも続けていきたいユニット(バンド?)です♪
いろんな土地でやっていきたいなあ(いつでも声かけてくださーい^^)

(私の顔…幼少期の決め顔の再現。笑)

次はどこでふかしぎできるかな☆



2014年9月2日火曜日

秋の色々1:すななななこと

すっかり秋ですね。○
私の記憶の中の、秋。を作品にしたもの、
ユトリロユルリト春夏秋冬シリーズより
(この作品は再演熱望の声が1~3番目くらいに多い。匙屋さんの空気感も相まって良い空気感だったなあ)

わたしのつくるものを見たり体験して下さったかたは、
浄化された、とか、感動したと言ってくださるかたが多いのだけれど、
秋缶は、笑いが起こったり、私自身も素をかなり出していたので、リラックスしてやってて、また違った感想いただいた作品。
そんな部分でも(ユーモアとか抜け感とか)アプローチがいつかまたできたらいいなーと思っていたら
あら、ふかしぎはそんな感じかもしれない。。◯
秋缶ともモチーフが重なるし、楽しみだなあ♪


9/13(土)すなななフェスhttp://sunananafes.blogspot.jp/p/b.html
私達”ふかしぎ”は、セプチマの場所、イベントのテーマにとっぷりトリップします○
まじめにふざけて、真剣につくってます。

ふかしぎは、オロロトリヒロくんとゆうびなしがい(白石和也くん)と私のユニット。
「思いはかることもできず言葉でも表現できないこと」
音楽家×踊り手/美術家×音楽家のパフォーマンスユニット。人のなかに昔から眠る直感・無意識のために。神話、民話、妖怪、妖精、西も東も、光と 影も、生と死も。ぐるっとねじれてよっこらせ。
オロロリーダーが書いてくれた紹介文とレポート。
こんな感じでやっています。

オロロくんは、キャラクターがたっている稀な方。落ち着いて話したりあまりしたことがなかったんだけど、深く接してみるとものすんごい優しさの持ち主で、そして真剣にものごとに取り組んでいて、今回ご一緒してまた一層魅力を噛みしめています。

かずやくんは、私の詩に、曲をつけてくれたり、子どものWSで音楽的なサポートをしてくれたりと、場数を踏んでいるので、ものすごい安心感。彼の音楽の才能は世の中の人、知った方がいいと思うわーと思いながらいつも一緒にやっているから、ライブでメンバーとして共にできるのは嬉しいなあ。
そんなふかしぎたち、を是非愛でにきてください♡


出演者も出展者も豪華でとても楽しみなイベント○ 
去年『料理された童話の旅ーおやつの回ー』
で空間を提供して下さった、シンボパンさんの美味しいあれやこれも!
(シンボさんのメニューぜんぶたべたい)

ぜひ!:-)

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そういえば、
東京から名古屋に引っ越したとき、「お月見泥棒いこうよ!」って友達に言われてびっくりしてたな。
まさか大人になってまたお月見泥棒するとはね!!


おまけ写真♡coinnのBAND!という曲のMV撮影の際のオロロくん〜

2014年8月24日日曜日

飛び立つ

東に帰ってきました:-)


京都では、たまたま東京の友人たちが京都に来ていて、大の字の送り火を見たり、
一人奈良へ行って、お寺を巡ったりしつつ、スタッフのみなさんのご協力もと会場の掃除をしたり。

木々のたちへの踊りも。


今回すべきことを考え、一本ずつ模写することにしました。
建物があるせいで、あるはずの影がでないから、
自分の姿、見たことないだろうなあと思ったし、あるはずのもの(影とか魂とか)
を認識してもらいたいなという気持ちから描こうと思いました。
描いているうちに、枝の分かれかた、曲がり方、細さ、太さ、全体像、なぞっているうちにさらに愛おしくなったし、写経しているような感覚にもなれて良い行為でした。
描いて良かった。(炎天下の中、汗だく&焼けた!)


踊っている途中でものすごくぽっかり穴があいてしまったようなむなしいような悲しい感情になって身体が置いてけぼりになり、精神と身体、状況と気持ちに差異を感じた瞬間が。切られる木々の気持ちだったのかもしれない。なんで切られなきゃいけないのかって思ってたのだろうな。全部切られた瞬間にこみ上げてきたものが押さえきれなくてこっそり号泣してしまった。。



市役所のかた、ボランティアさん、スタッフさん、関わってくださったみなさんが力をあわせてその場をつくってくれたことに、感謝します。
共に歩んでくれたパーカッションの竹中さんとても優しいかたで救われました。
みなさま、ありがとうございました。○
泊まらせてもらってたおうちのおばあちゃんも見にきてくれて、
私が木のことを考えてあれやこれやしてるのを見て「心は、伝わるからね。」と言ってくれて、救われたなあ。また11月におばあちゃんに会えるのが心から楽しみです。


神社に御礼参りをして、また11月に…と京都を後に、名古屋へ。
翌日小学校の頃からの友人のお店にいって、かわいいアンティークの鳥かごを見つつ、
鳥飼ってないしなあ、とあきらめて、他のお店で茶色に黄色のラインが入ったボトムを買い、名古屋の一番の繁華街を歩いていたら、
目のまえに何かがボトッと落ちてきました。



なんと、小鳥!
からすがくわえてたのを落としたのか、喧嘩したのか、上には羽が舞ってて。
地面でけいれんしていてすぐにでも人に踏まれてしまいそうで、
とっさに手のひらで掬って気を送ってあっためてたら、目も開かない状態だったのに
徐々に目を開けられるようになって少し安心。大学生の女の子たちに話かけて動物病院を調べてもらっているうちにまた元気になって女の子の肩に飛んでとまったと思ったら赤信号の車道の真ん中に飛んでいってしまって、ひかれるのをみているわけにいかない!とまたつかまえて歩道にもどったら、宝石屋さんの定員さんが出てきてくれて鳥に詳しい方で水を飲ませてくれたり、ハコを巣箱みたいにしてくれたり、近くに鳥獣店があるから連れていってと教えてくれて、女の子たちと向かいました。

鳥獣店の方に見せたら、なんの鳥か判明。
茶色い身体に黄色いラインが入った小さな鳥、かわらひわ という野鳥でした。
えさを少しいただいて、一晩うちで保護することに。


(かわいい。。)

朝起きたら小さな声でぴいぴい鳴いていて、フンもしてるし、えさもついばんでいたので一安心。


里山のある公園にいき、箱の蓋を開けると、ふちにピョンとまって私の方を見てから飛び立っていきました。生きるべき場所へ、光溢れる中へ飛び立っていきました。
どうか元気で生きていってね。○

人の縁も繋がって助かった命。この子はなにかを伝えにきてくれたのかもなと思いました。自然界からのお使い。

私もあの子みたいに光溢れる方へ、生きるべき場所へ飛び立てるといいな。○

2014年8月15日金曜日

里へ

お盆の里帰り。
迎え火を焚くのは昔から好き。
火の揺らめきに見入っていると一体になってしまうような感覚になる。


今年はイトトンボとギンヤンマの姿できてくれました :-)
なかなか夏のイベントで帰れなかったりするから、
今年はお盆にちゃんとご先祖様にご挨拶できてよかった。

******

今朝は五時に起きて新幹線にのって、京都の木津川市へ。
11月の『木津川アート2014』に出品するので会場のお掃除も兼ねて3度目の訪問。
やっぱり作品をつくる時にはその土地との対話が一番大事。
今回は芸術祭の関係で18日には木の伐採式が行われるので、
切られてしまう木々の木霊の為に踊ります。
晴れるかな。


今日は土地の神様にご挨拶。
御神楽に立ち会い,18日の無事を祈願。
宮守も巫女さんも氏子さんのなかで継承されてる。
今の巫女さんはもう10年もつとめてて、その間一度も欠かさず舞っていると。
(この土地は欠かさず、毎月三回の御神楽を行ってる。)
信心深く、慈悲深い方々の育む、あたたかい土地なのです。

西ノ宮神社という小さな山にある神社が、ここの土地の神様で、
今はこの名前だけど、元々は九頭竜の神社。
龍神が祀られているので、水とか雨の神ですか?と地元の方に聞いてみたら、
昔日照りが続いたとき、山の池で雨乞いをしたら雨が降った、という伝えがあり、祀られてると教えてくれました。
前回、『雨を乞う』の制作中に、同時進行で会場決め&リサーチでここに訪れてたので、その話を聞いたときには本当にびっくり!
木津川という大きな川があるので水の神様が多いけれど、まさか雨乞いのリサーチになるとは…(なので雨を乞うの物語はここの山を想像しながら書いていました)


毎回お泊まりさせてもらうおうちの一人暮らしのおばあちゃんが
変わらずお元気で、再会出来て嬉しくて、思わず握手しちゃった。
お盆だし、里が増えたみたい。○今回もいろんなお話きかせてもらおう♪

昔ながらの村の日本家屋、風抜けてほんとうに気持ちがいい。
稲が大分育って、青々と。秋の気配も少しづつ。
ここは空気が綺麗。いい香り。昔ながらの風景に水路の音が涼を運んでくれます。○


おばあちゃんの畑もとても元気に育ってて嬉しいな。○

いろんな土地が発するそれぞれの声を、こころ静かに聞いて、
作品をつくって発し、通していくのが自分の使命の一つ。

去年は里のアイチ、今年じっくり向き合うのは、この場所です。

2014年8月12日火曜日

継ぐ、続く

しぜんの国の8月のダンスワークショップは“ジャングル”がテーマ。
7月の'海'を渡ってジャングルの島へひと夏の冒険をしています。○


新園舎ができてこの活動が始まってまだ少しだけれど、連携力が各所で発信されてきていて私もさらに熟考し益々わくわく取り組んでいます。


アトリエリスタの先生たちの会議、クラスの先生たちとの会話、意見やリクエスト、こどもたちの反応を受けて微調整。繰り返して練り上げていく。
継続した作業と関係性。続けるからできること。この事象が目には見えない大きなうねりとなってみんなの心身に残っていくかもしれない、すごいことだと思う。重責だとも感じてる。



母がよく言っていた。
「継続は力なり」


自分には才能がないと感じ、踊りを辞めたいと思うときも、この言葉に引き留められた。

続けることの大切さを身をもって知っている。
三歳から始めた踊りを何度も何度も挫折や悩み、迷いを味わいながら続けてきたから今がある。そんな今、得たものを形にして今度は私が継いでいく番だ。



回を重ねてくと徐々にみんながそれぞれにもつ空気感やリズムの違いが見えてくる。
ほんとうにいろんな子がいる。性格も環境も。みんなと触れあいたい。無理して踊らなくても、見てるだけでも、各々がどこかに喜びを見いだせる時間にしたい。
(気になることがあったらお昼を一緒に食べてみたり、声かけてみたり、自由時間に一緒に遊んだり…まだその距離感も試行錯誤中)

できることならひとりひとりとじっくり対話したいけれど、
まずは私の立場でできることをしていかなきゃ。
それは各クラス月一回のワークショップでやれることの最良を尽くして、よい形を生み出すこと。
そして皆の表情や動き、陰りも光る瞬間も、敏感に掬って反映させていくしかない。
(こないだは気になっていた閉ざしがちな子へ意識して声をかけたり触れたりしたら最後は満面の笑みで『来月は何やる?』と言ってくれました。幾度にそんなことがあって、毎回じいんと泣きそうになる…。)








8月のとある日
毎年参加してきた『吉原芸術大サービス』の仲間が、吉原の催しを手伝っているというので、応援しに行ってきました。
(写真は吉原の桜をモチーフにしたわたあめ!枝はクッキーでほんのりピンクでクオリティーが高いっ)


芸術祭にも、毎年参加し続けていたからこその関係性を感じた1日。

歩いていたら「東山ちゃん」とか「かえちゃん」と声をかけてくださったり、握手してくださったり、お茶席に招き入れてくださったり、土地の方が喜んで受け入れて下さっているのを実感…。
その土地について毎年知識を深め、真剣に取り組んでいると、
いつのまにか地域の方々との関係も広がり深まっていた。

こんなに嬉しいことはない。幸せな気持ちになった1日。



続けるとはなんて大きな力だろう。
苦しみもあれど、その先にはこんなにも自らを助け、光の道に導いてくれる力となっている。


だから、これからも
継ぎ、続けていこうと思う。


2014年8月8日金曜日

境界線で遊ぶ



しぜんの国の8月のWSを終えて、昨日からお仕事の下見で軽井沢へ。
美術館の企画で、10月に一泊二日のWSをします。
とてもすてきな場所でした。
森の中で、なにをしよう。○身体と自然。


森の中のどこで何をするか、歩きながら自分の感覚に耳を澄ませ、少しだけ方向が見えてきました。やっぱり長野にいくと、木々に目がいくなあ。木は気であり、気を纏う存在。
冷たい水と澄んだ空気と佇む木々。小さなころから夏はよく軽井沢に行っていたので、このご縁はほんとうに嬉しい!(そして山っこの私は長野好き)

岡上とはまた違う視点から取り組みます。まだまだ自然に関して勉強/経験が少ないし慣れないからとても難しいけれど、自然の中での時間を組み立てるお仕事が続くこの導き。脳内の境界線をなくして、思考回路が繋がってくといいな。
佳い時間を過ごしていただけるように、取り組みます。


そのまま友人と合流して一泊して一休み。
花豆の実にも出会って去年の今頃創作していた『料理された童話の旅』を思い出したり。
桔梗がどこも綺麗に咲いていて目を奪います。

軽井沢の氏神さまにもご挨拶してきました。奥宮にいたら身体がぽうっと暑くなってきて、光と力をいただいた気がしました。





木にまつわることが続きそうなので、しなの木さんにもご挨拶。八咫烏さんのおみくじで優しい歌と、嬉しい言葉をいただいて、また大きな安堵。


旅も創作も、境界線を越えることに、こころ踊る。


 
若かりし時代、一緒に踊っていた友人との旅。二人で浄化の時間を過ごしたような感じ。
夜の石の教会、昼の木の教会。12時の鐘の響き、束の間の旅が終わり。
旅はしないとって年々思いが強くなる。
次はどこいこうかな。

2014年7月31日木曜日

自然、信仰、芸術へ


昔から自然のなかにいる時間が好き。

幼い頃、家の前の畑で野菜をもいだり、野花を拾って水に浮かべて遊んだり、春夏秋冬と分かれた小さなポケット図鑑が大好きで、それを毎日鞄にいれて緑地へ野鳥や虫を観察しに行ったり、ひまわりの種をおやつがわりにベランダで食べながら夕陽を見てた。あのときの景色、触感、香りや温度が今でもときおり蘇る。


二十代、まだ事務所に所属していて、女優の卵をやってたとき、JAの方に抜擢されて食育の番組でレポーターの仕事をさせてもらったのも(hジャマカのiさんと京都でロケして芸人ごろしと言われたり、もぎたてのアスパラを生でかじったり、こどもたちを野菜を料理したり…!)
山と渓谷社さんの雑誌でモデルをやらせてもらったり、記事を書かせてもらったりしたのも、私の趣向が、雰囲気や空気に出ていて声をかけてくれたんだと思う。


今、関わっている里山キッズや東京里山講座での学ぶ時間ははそんな私にはとても有意義なとき。
アート活動と自然の中での活動が徐々に繋がってきてる。


そんな流れの中で、ご縁があって声をかけていただき、町田からも程近い鶴川駅南側の岡上という地区で、里山の中でアーティストが隊長になりワークショップをする岡上さとやま探検隊という企画の9月を担当することに!(彩子さんありがとう、ご縁に感謝◎)
小学生対象のプログラムです。
リサーチに二度足を運んだけれど、また町田とは違う雰囲気のとーってもいいところ。
昨日は公民館の図書室で土地のことを調べに行ったら職員のかたが丁寧に付き合ってくださり、最後に「お姉さんにはあげたくなっちゃうな!」と笑いながら野菜をもぎってお土産をくれたりしました☆明日もリサーチ、文献探しと岡上の信仰の対象である馬頭観音さまに会いに参ります。


そもそも、芸術や芸能の根源は信仰や神事にあると思ってる。
信仰や神事はその土地の方々が生活の中からつくり出してきた文化のひとつ。
農耕のために自然と密接に関わり、共に生きる知恵をつけ、実りのために天気や未来を祈り、信仰や文化が生まれた。捧げものや信仰の対象として美術や彫刻像があったり、舞や踊り、歌や音楽で見えないものと通じようとした。

日本の能舞台もそうだし、古代ギリシャやローマも神々の祭りであったり、捧げる演劇を行っていたり、祭りのために木造の建物をつくったりした。やっぱりラスコーの洞窟壁画も祭儀的だし、呪術的。

芸術や芸能の起源は諸説あるけれど、私はこの考えがスムーズに理解に落ちている。
その土地で生きる為に、自然と関わり→信仰が生まれ→文化の形となり、芸術/芸能が生まれたんだと思う。


私は自然と信仰と芸術は、切っても切り離せないものだと感じている。
踊っていて、作っていて、その場所から声が聞こえたり、
身体の中をなにかが通っていく感覚があるから、
それが芸術/芸能になってきたんだということを身をもって感じたりする。

だから、作品をつくるようになって、プロセニアムの劇場や、公民館のような美術館に違和感を覚えはじめた。
貴族が壁の絵を愛でる為に奥に押し込まれてしまった歴史があるのに、ヨーロッパをまるまる輸入したプロセニアム劇場が日本にも多い。(自身もバレリーナ時代はもちろんオーケストラがいて、奥に舞台があって、という劇場に立たせてもらっていたし、バレエはそういう空間の為に創られた型でもあるし、納得していたけれど)


作家として作品をつくる際に、私が色んな場所で、場の声を汲むのは、
芸術の根源を大事にしたいし、創り手や表現者はその形をつくり、
社会や日常の視点を増やすような役割だと思っているから。
現実と非現実の”間”の扉になりたいと思ってる。

作家や作品が神ではない。アートもアーティストももっと日常のもの。
日常の中にあっていい。舞台業界や美術業界、芸術家や評論家、一部の人たちが愛でる為のものではない。いろんな世界のひとが見にきてるほうが豊かなイベントだと思うし、美術館や劇場にこどもがいたっていいし、大人同士だってシンと静まり返らないで、しゃべったっていい。
(↓北欧の現代美術館はこどもたちが大人と作品についてディスカッションしていたり、展示のテーマに合わせてつくることができる広いスペースがあったりして、とても健全に感じた。)


(一番下の写真は、かなりシュールな映像作品で、マクドナルドが浸水していき、最終的にお店のもの全部が外に流れ出てしまう、という内容。映像作品でひさびさにヒット…!
このシュールな作品を小さい女の子がきゃっきゃ笑ってみていたのが印象的だったな。)
この美術館は海岸にあり、おとなもこどもも芝生で寝転んだり、海岸沿いを歩いて休憩しては作品をみて、外で遊んでは何か作りに…と自然と芸術が気持ちよく存在していました○

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地域の芸術祭が多くなっている現代アートの世界でも、起源や根源を汲み直す時期に
きてるのかもしれないし、そういう企画をやる以上は地域の協力無くしてはできないし、考えざるを得ないことだと思う。
自身も地域の芸術祭に参加していると、根源的な部分に目を反らせないし、そういう必要が出てきているんだと感じてる。
土着的部分と自らの作家性が混ざると想像もつかないものになったりしてて、
見えないものに動かされてるのかも、とさえ思う。

(信仰心を強制するわけでもないし、スピリチュアル万歳とか土着的なもの、
儀式が最高!って言っている訳ではなく…。つくるときは、
もちろん多様な人が入ってこれるように抜け感というか窓を開いてくセンスも大事。)


その場所に生きる人に受け入れ喜んで貰うのが一番嬉しい。
場と時と呼応しているものを、いいなと感じてもらえるんだと思う。
場と時と丁寧に会話して作品をつくっていきたいと思う。
敬意をこめて。