お越し下さったみなさま、遊んで下さってありがとうございました。◯
私の吉原での第一の時代の一区切りになりました。
大門をくぐり歩いている時に、感情がこみ上げてきて
一人泣きながら歩きました。
それまでのあの場所での濃密な体験
濃密な関係 熱いくらいの温度と距離
そこから離れる
うれしさとやっとという気持ちと
でも雲が流れるように心にかかってくる寂しさ
吉原を出て行くことが出来た遊女達は
こんな気持ちだったんだろうか
1年目に弁財天で奉納の舞をさせていただいて
それから続いた3年間、私は遊女をやっていました、無意識に。
あの場所の花であった女性達の気持ちを体験することも
使命だったんだと思います
それがあの場所の浄化になってくれていたらと願います
『Play』で線で書いた吉原の中で沢山のお客様と遊んで(外見世にでていた下っ端)
『屋上遊園』予約制にして(グループ参加は同時に3人まで)でひっきりなしにお客様と遊び(昇格した遊女)
『空言遊楼』で予約制完全1:1で少人数のお客さんと遊んで(太夫までいけてたらいいけど)
『空言遊楼』の会場になってた部屋は料亭金村の
”紫の間”で
吉原最後の花魁の名前は”紫太夫”(花紫さん)
(ワッショイということで神輿みたいな櫓をつくったのですが
日本最初の神輿も紫色だったそうで)
偶然にしても、吉原での物語がこんなに美しく終わるとは。
今年の芸術祭の運営スタッフの素晴らしいこと。
ボランティアさんの愛情の大きなこと。
その全てが美しかった。
みんなみんなありがとう。
まだまだ感情がまとまらないけれど。。
作品についてはまたHPにまとめますね。
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あの場所からでて
現実にもどったら、ゲ・ン・ジ・ツ
ああこの世の中に生きていたのだったと
仕事に追われる毎日です
遊女達だって毎日休み無く働いていたものね
きっとその体験の続き
フィクションとノンフィクションはいつまでも重なり合ってく
いつからか常に頭の中に作品やWSや企画等
案件が7,8,9,10,,,,てんこもり!!
で、追われてるかんじだけど
魂のようにおわらないものなんだと最近思って。
しごとってそうだと思う
天命に沿って仕事していればそうなると思う
だからほんとありがたいこと
感謝します
そんな日々、
気力だけで歩きながら
あの名曲に載せて替え歌をつくってました
日曜日はクリエイターで(MV打ち合わせ)
月曜日はパン屋からの詩人(稀バイトからのもろもろ依頼品制作)
火曜日は芸術家と先生(アトリエで作品制作〜学童の先生〜アトリエに戻って振付け作業)
水曜日はダンサーになって(身体訓練と治療〜制作)
木曜日は振付家だよ(スタジオ撮影とWSの構成創作)
金曜日は講師と事務で(保育園ダンスWS〜学童先生〜佳永事務所作業)
土曜日は作家に戻る (群馬へ下見へ)
てゅらてゅらてゅらてゅらてゅらてゅらら〜♪
肩書きなんですか?とか
トウヤマさんって普段なにやってるんですか?
聞かれるし
アーティストプロフィールにも書かないといけないときも多いんだけど
これ歌おうかな。笑
肩書きって苦手
この世の中にいきてると
なにかにはめられたり分かりやすさを求められたり
一言にしなきゃいけなかったり
形にはめられないといやがられたりする社会にいて
わたしはそんな社会や考え方苦手だったりします。
でも形にはめないと、線を引かないと繋がりも感じられなくて
だからこの身体の中にいて地球にいる
遊び女(め)ってもともと踊り子や芸能に携わる人のこと
だったら私もそうなんだろう
人はいろんな顔をもっていて
その顔はバラバラなようできっとどこかで集約されてく
今一言で表すとしたら芸術家?
いや、東山佳永か
名前ってすごいな
遊女達は身体や頭脳を駆使し働き
それが各土地の文化や流行になって
憧れになったりしていた
今でもあの場所で働く女性は
職業としてきちんと認められて
生業として敬われている
すごいなあ
不器用なこんな生き方も
いつか理解してもらえる日がくるかな
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