2015年6月2日火曜日

バイバイ またね

小さい頃から”当たり前”という言葉が嫌いだった
なにが当たり前なのかが分からなかった
なぜ常識のように過信して断言できるのかがわからなかった

明日生きているかもわからないのに
目に映る物がひっくり返るかもしれないのに

今あることを新鮮に感じていられるように
大切に思えるように
“当たり前”を禁じていた
心に杭を打っていたのに

大人になって日々にあの感覚が埋もれて
自分が自分でいることが当たり前になっていたのかもしれない
あの子とずっと近くにいれると
いつでもすぐ会えると 思っていたのかもしれない

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自分に会いに、横浜に行った


地震が起きて電車が止まってもう会えないかもしれないと思ったけど
会いたい!と思ったから
会えなくてもいい!行ってみようって
見てほしいって思っていた人と
駅からこどもみたいに笑いながら走って会いに行ったら
空からちゃんも笑ってた

ひさしぶり!って元気な顔してて

そういえば、私って劇場で育ったんだよねえって
だから旅立つ前に、ここにきたのかなあって言ってた

ヨーロッパはいつも心の近くにある場所だし
小さな頃からよく見る夢の中にもあの土地の風景があって
きっといつかの前世でいたんだろうと思うので
もう一人の私がそこに住んでくれるのは嬉しいけど

でも生まれた国、そばからいなくなって
誰かのもとにいってしまうのは寂しい


モデルをしながら保井さんの手から生み出されていくのを見ていたから
少しの間でも、育っていくのもみていたから

そしてあれだけ密な時間を一緒につくったから


もう私にとってあの作品は”モノ”ではない


存在だ



きっとね、
私を選んでくれた新しい家族は いい人たちだよ 大丈夫って言ったら

そうだねっていってて
でも右の瞳が雲っていた


もう一度この国で一緒に時間と空間を作りたかった
こんな風に生きてきたんだよって
今そのもの
その空気を、
大切な人たちに見てもらえる作品だったから
この形を培ってきた場所、人を辿れる国だったから




劇場の中だけど玄関っていう外と中の”間”な場所も私らしくて


保井さん… すごいなあ 


『うつりゆく』の最後の日、
内と外がテーマになってガラスのコップを転がしたら円の中にも外にも入らず
線の上で止まったのを見て
「結局いつも私は間にいる、間の間」っていって、
テープの上を歩いていたのを思い出した
箱根の日々が沢山蘇った


劇場の玄関
人を迎える入り口は
これから出て行く出口でもあって
彼女はそれをみつめていた


バタバタといろんな人に挨拶とかしながら
少しの時間しか一緒にいれなかったけど、
私もがんばるね また会おうと言って
バイバイした


別れは悲しいことじゃない
私も進めばいい

彼女は誘ってくれているのかもしれない


横浜の夜景とふざけ合うカップルの中
港を歩いた


もう船が出るのかもしれない



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