2014年7月31日木曜日

自然、信仰、芸術へ


昔から自然のなかにいる時間が好き。

幼い頃、家の前の畑で野菜をもいだり、野花を拾って水に浮かべて遊んだり、春夏秋冬と分かれた小さなポケット図鑑が大好きで、それを毎日鞄にいれて緑地へ野鳥や虫を観察しに行ったり、ひまわりの種をおやつがわりにベランダで食べながら夕陽を見てた。あのときの景色、触感、香りや温度が今でもときおり蘇る。


二十代、まだ事務所に所属していて、女優の卵をやってたとき、JAの方に抜擢されて食育の番組でレポーターの仕事をさせてもらったのも(hジャマカのiさんと京都でロケして芸人ごろしと言われたり、もぎたてのアスパラを生でかじったり、こどもたちを野菜を料理したり…!)
山と渓谷社さんの雑誌でモデルをやらせてもらったり、記事を書かせてもらったりしたのも、私の趣向が、雰囲気や空気に出ていて声をかけてくれたんだと思う。


今、関わっている里山キッズや東京里山講座での学ぶ時間ははそんな私にはとても有意義なとき。
アート活動と自然の中での活動が徐々に繋がってきてる。


そんな流れの中で、ご縁があって声をかけていただき、町田からも程近い鶴川駅南側の岡上という地区で、里山の中でアーティストが隊長になりワークショップをする岡上さとやま探検隊という企画の9月を担当することに!(彩子さんありがとう、ご縁に感謝◎)
小学生対象のプログラムです。
リサーチに二度足を運んだけれど、また町田とは違う雰囲気のとーってもいいところ。
昨日は公民館の図書室で土地のことを調べに行ったら職員のかたが丁寧に付き合ってくださり、最後に「お姉さんにはあげたくなっちゃうな!」と笑いながら野菜をもぎってお土産をくれたりしました☆明日もリサーチ、文献探しと岡上の信仰の対象である馬頭観音さまに会いに参ります。


そもそも、芸術や芸能の根源は信仰や神事にあると思ってる。
信仰や神事はその土地の方々が生活の中からつくり出してきた文化のひとつ。
農耕のために自然と密接に関わり、共に生きる知恵をつけ、実りのために天気や未来を祈り、信仰や文化が生まれた。捧げものや信仰の対象として美術や彫刻像があったり、舞や踊り、歌や音楽で見えないものと通じようとした。

日本の能舞台もそうだし、古代ギリシャやローマも神々の祭りであったり、捧げる演劇を行っていたり、祭りのために木造の建物をつくったりした。やっぱりラスコーの洞窟壁画も祭儀的だし、呪術的。

芸術や芸能の起源は諸説あるけれど、私はこの考えがスムーズに理解に落ちている。
その土地で生きる為に、自然と関わり→信仰が生まれ→文化の形となり、芸術/芸能が生まれたんだと思う。


私は自然と信仰と芸術は、切っても切り離せないものだと感じている。
踊っていて、作っていて、その場所から声が聞こえたり、
身体の中をなにかが通っていく感覚があるから、
それが芸術/芸能になってきたんだということを身をもって感じたりする。

だから、作品をつくるようになって、プロセニアムの劇場や、公民館のような美術館に違和感を覚えはじめた。
貴族が壁の絵を愛でる為に奥に押し込まれてしまった歴史があるのに、ヨーロッパをまるまる輸入したプロセニアム劇場が日本にも多い。(自身もバレリーナ時代はもちろんオーケストラがいて、奥に舞台があって、という劇場に立たせてもらっていたし、バレエはそういう空間の為に創られた型でもあるし、納得していたけれど)


作家として作品をつくる際に、私が色んな場所で、場の声を汲むのは、
芸術の根源を大事にしたいし、創り手や表現者はその形をつくり、
社会や日常の視点を増やすような役割だと思っているから。
現実と非現実の”間”の扉になりたいと思ってる。

作家や作品が神ではない。アートもアーティストももっと日常のもの。
日常の中にあっていい。舞台業界や美術業界、芸術家や評論家、一部の人たちが愛でる為のものではない。いろんな世界のひとが見にきてるほうが豊かなイベントだと思うし、美術館や劇場にこどもがいたっていいし、大人同士だってシンと静まり返らないで、しゃべったっていい。
(↓北欧の現代美術館はこどもたちが大人と作品についてディスカッションしていたり、展示のテーマに合わせてつくることができる広いスペースがあったりして、とても健全に感じた。)


(一番下の写真は、かなりシュールな映像作品で、マクドナルドが浸水していき、最終的にお店のもの全部が外に流れ出てしまう、という内容。映像作品でひさびさにヒット…!
このシュールな作品を小さい女の子がきゃっきゃ笑ってみていたのが印象的だったな。)
この美術館は海岸にあり、おとなもこどもも芝生で寝転んだり、海岸沿いを歩いて休憩しては作品をみて、外で遊んでは何か作りに…と自然と芸術が気持ちよく存在していました○

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地域の芸術祭が多くなっている現代アートの世界でも、起源や根源を汲み直す時期に
きてるのかもしれないし、そういう企画をやる以上は地域の協力無くしてはできないし、考えざるを得ないことだと思う。
自身も地域の芸術祭に参加していると、根源的な部分に目を反らせないし、そういう必要が出てきているんだと感じてる。
土着的部分と自らの作家性が混ざると想像もつかないものになったりしてて、
見えないものに動かされてるのかも、とさえ思う。

(信仰心を強制するわけでもないし、スピリチュアル万歳とか土着的なもの、
儀式が最高!って言っている訳ではなく…。つくるときは、
もちろん多様な人が入ってこれるように抜け感というか窓を開いてくセンスも大事。)


その場所に生きる人に受け入れ喜んで貰うのが一番嬉しい。
場と時と呼応しているものを、いいなと感じてもらえるんだと思う。
場と時と丁寧に会話して作品をつくっていきたいと思う。
敬意をこめて。





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